神奈川NIEミーティング

NIEミーティング議事録 2016年4月15日(金)

場所 神奈川新聞社
参加者数 23名
司会 赤池幹(神奈川県NIE推進協議会会長)
報告者 梅田比奈子(横浜市立名瀬中学校)
記録 藤本健(横浜国立大学大学院生)

学びを開くということ NIEを通して

 教育課程企画特別部会・論点整理(2015年8月26日)が提示されたが、NIEはすでにその内容とリンクするような実践を生み出してきたと考えられる。例えば、「学校が社会や世界と接点を持ちつつ、多様な人々とのつながりを保ちながら学ぶことのできる、開かれた環境となることが不可欠である」と論点整理に描かれている。教室の中だけに閉じこもって授業をしたくないという思いから、新聞記事を通して地域の人たちや新聞記者に出合い、直接話を聞かせていただくといった活動を通して、広がりのある学習・学びを大切にしてきた。

 実践を行うにあたって考えてきたことを並べると次のようになる。

・この子どもたちと何に出合わせたいか
・この子に何を考えて欲しいか
・どんな気づきを持って欲しいのか
・自分の生活や日常とどうつながるのか
・人との出合いは

 NIEに出合うまでは、この記事を伝えたいという報告者自身の記事に対する思いがまずあって、これについて児童に考えて欲しいと考えていた。しかし、NIEを実践していく中で、子どもたちの持ってくる(選んでくる)記事が素敵だと感じるようになっていった。例えば、児童たちに気に入った新聞記事を選んでもらうだけでも、この子こんなこと考えているんだ、こんな発想するんだといった気づきがあった。子どもたちが教室の外を向いたことで、教室だけでは知ることのできなかった新しい一面に気づくことが増えていったのである。

 新聞は人がいることで何かできごとがあり、それを人が取材し、新聞として印刷・出版することで、人の手に入り、読むことができる。つまり、新聞は人がずっと介在していることでできるものである。新聞には人がずっと関わっているのだからNIEの実践では新聞記事を通して子どもたちがたくさんの人と出合合わせたい。たくさんの人と出合うことで自分たちが社会を変えられるのだと思うようになり、子どもたちの言動が変化していって欲しいと思いながら実践してきた。

質疑応答

Q.クラスで発言することに緊張してしまう子に対しては、クラスの仲間がはたらきかけるよりも新聞の記事の人物(消防士)を紹介した方が勇気付けられると考えて取り上げたのか。
A.クラスの子たちのはたらきかけと、+αでプロの方でも緊張することを紹介することでその子たちは安心して発言できる(勇気づけられる)のではないかと考えた。
Q.小学校で社会科の授業を実践していく中で共通している基盤、常に心おいている言葉はあるか。
A.どのような単元であっても、人を登場させることを常に意識してきた。単元と通して、人っていいな、色々な生き方があるんだなと思えるように考えてきた。
Q.もっと教員が自由であったらいいのに、というのが伝わっているようで伝わっていない教員にどのようなはたらきかけをしているのか。
A.こういうふうにやればいいのにとは話しているのだが、枠(教科・教科書)から出た時にどのようにすればいいかわからない(見通しが立たず不安だ)と話す教員が多い。
Q.見通しが立たないと不安に感じる教員に対して、その不安感はどうしたらいいのか。
A.そうした教員の不安には大きく二つ要因があると思う。一つは自由にと言った時に子どもが選択できないのではないかという不安感、もう一つは見通しが立たないままに授業を行うのは心配だという教員の不安感である。前者に関しては、子どもをもう少し信頼してあげればいいのにと思う。
Q.自由にやればいいのにと言った時、若い先生はどのように捉えているのだろうか。若い先生は自分の身の置き所をどのように処理されているのか。
※この質問に対しては特にどの参加者からも回答はなかった。
Q.報告者の実践の中にあった戦争体験の聞き書きの本は最初から作る予定だったのか。
A.最初から製本にする予定はなかった。当初は児童たちの書いたものをホッチキスでとめる程度で考えていたが、戦争体験を語ってくれた方々にお返しがしたいということで製本にした。
Q.若い教員の中には自由にやったらいいという先生の言葉も、コマンドとして受け止めてしまう人がいるのではないか。あまり人と出会いたいと思っていない、面倒だと考える教員がいるのではないか。
A.女房と毎日いても面倒だと思うことはある。
※この質問に対しては報告者以外の参加者からご回答がありました。
Q.インタビューの後の接触はあったのか、会いに行くなど。
A.インタビューをさせていただいた人にもう一度会いに行くことはなかったが、地域の人たちとすれ違いの挨拶が増えるなどの変化があった。
Q.見通しがつかないまま授業が進んで、ぐちゃぐちゃになった後で何が残るのか。
A.教員が思っているところにまとまりがつかなかったとしても、その授業に子どもたち一人ひとりの学びがあるのではないか。まとまるということについて教員の間にイメージの違いがあるのかもしれない。

 以上のようなやりとりがあった。教科書や教科といった枠を外して子どもたちが自由な発想で考えられる授業は、子どもたちや教員にも先行きが見えないため不安な面がある。NIEを通して行われる実践も毎日現実社会で起きたできごとを扱うので、見通しのつけられない場面がたくさん出てくるように思う。しかし、そこにこそNIEの魅力や楽しさがあるのではないか。先が見えないからこそ子どもたちが自由な発想で考える余裕があって、子どもたちのユニークな発想からユニークな実践が生まれてくる魅力や楽しさがあるのだと感じている。えらそうに言ってしまいましたが、実際の授業では私もこの見通しがつかない楽しさを楽しむのにハードルの高さを感じてしまうかもしれません。子どもたちの発言に耳をかたむけることを通して、自分自身が作り出してしまったハードルを飛び越えられるようにNIEを実践していきたいと感じました。